無差別八方美人?

全然無差別じゃないおじさん、はてなブログに引越し中です。

How Do You Live?「ウォーキング・デッド S11」海外ドラマ/感想

2024年、令和6年は、なにもおめでたくない幕開けを迎えた。
 
元旦、震度7と云う大きな揺れが石川県を中心として襲い、各地に壊滅的な損害を与え、今もまだ収拾などついていない。死者も分かっているだけで60人以上、何千もの家が住めないものとなり、何万人もの人が避難を余儀なくされている。
 
そんな状況が続く中、今度は二日に航空機と海保機の衝突事故が神経を逆撫でしてきた。爆炎を撒き散らしながら滑走路をゆく様には、本当に言葉を失った。航空機側は全員脱出出来たが、海保機側は5人死亡と云う。誰が悪いにせよ、人災としか思えない状況に、こちらはフラストレーションが溜まりっぱなしである。
 
何故連日、こんなことが起きるのか?
 
今日は大丈夫なのか?
 
令和は本当に呪われているのでは?
 
今日一日は、大勢のそんな想いが堂々巡りしていたのではなかろうか?
 
人間は何かしらの物を”持て余す”生き物だ。それは食欲かもしれないし、性欲かもしれない。名誉や自尊心に対する欲もあれば、手にしていれば大抵のことを解決出来る金銭への欲も、なかなか抑え難いはずだ。なら当然、こうしたことが起きることに対して、理由を求めたくなるのも必然だと言えるだろう。
 
だが、それを追い求める想いを持て余した結果、本当の意味で幸福を手に出来る者が、一体どれだけ居るだろうか?どんな答えを得ても、満足しないのではなかろうか?一つ満たされれば、また一つ持て余すようになるだけではないだろうか?
 
地震に関する陰謀論や、航空機事故のモヤモヤを、ウォーキング・デッドで上書きしていたら、そんな気持ちで自分の中が、いっぱいになっていた。
 
 
 
10年以上続いたウォーキング・デッド。ぼんやり振り返ると、兎に角最後までモラルを試される作品だった。死者が生者を上回り、歩く屍として襲い来る世界で、生き残った者達が、生きる為、家族の為、誇りの為、信じたい何かの為に、自他を傷つけ合い、奪い合い、正しさを押し付け合う様が延々繰り返されて行く中で、何度となく押し潰されそうになりながらも、主人公達は絆を深めて行くわけだが、生きる為に、ここまでしなければならないのか?彼らの姿に何度そう思わされたかしれない。
 
最後まで生き残った奴、あっけなく死んだ奴、どうしても死んで欲しくなかった奴、どいつもこいつも、こちらはただ観測しているだけなのに、いつのまにか家族になったような気になって、まんまと一喜一憂見守ってしまった。原作をちゃんと読んだことがないため、ドラマ版の結末が原作通りか否か、それはわからないけれど、こんな時代であるからこそ、自分達ひとりひとりの生き方が大事なのだと云う締めくくりには、グッと来るものがあった。ここ迄来るまで、本当に長く険しい道であった.....
 
君はどう生きるか?
 
宮崎駿映画のタイトルでもないが、まさにそれが問われる時代であるだけに、そう訴えかける本作を、たかがゾンビドラマで片付けることは出来ない。
 
またいつか、大事なことを忘れそうになった時、リックやダリルに逢いに行こうと思う。
 
持て余す全ての者達に捧げたい作品だ。