1994年。その頃の僕は高校生だった。勉強をする気がなかった僕が行けたのは遠くの私立高校で、働いている今より早く起きて支度をし、公共の交通機関で通学していた。
あの日も、普通に6時少し前に起きた。リビングへ降り一足先に起きている母が点けていたTVのニュースに目を奪われた。アイルトン・セナが死んだと云うのである。
91年からF1を見るようになった僕にとって、セナは間違いなくヒーローだった。ホンダエンジンの良さに助けられた時もあったかもしれないけれど、マシン性能が足りない年でも驚異的なマシンコントロールでライバル達と全身全霊で戦う姿に痺れたのだ。ついでにバラエティ等で見る彼の愛嬌たっぷりな姿も好きだった....
そんなセナが死んでしまったあのレース、今回見たシューマッハのドキュメンタリー映画でも関係者が語っていた通り雰囲気が良く無かった。予選から大きな事故が複数発生し、ラッツェンバーガーが死亡する事故も起きた。おかげで明らかにドライバー達はナーバス。表情も何処か気乗りしない感じである。それでもレースは始まり、開始早々派手に事故発生。何処までケチが付くんだこのレース.....皆そんな気持ちで見守っていたことだろう。
そしてセナの事故は起きた。
信じられない光景だった。完全にコントロールを失っていたようには、素人目には思えなかったのだ。何故曲がれなかったのか?そんなどうしうようもない思いで頭はいっぱいになっていた。
それでも「まさかセナは大丈夫だろう。」そんな楽観的な気持ちが自分の中にはあった。あまりにも長い中断と、セナの安否が分からないなか、彼の居なくなったレースへの興味も失い、睡魔に負けた僕はTVを消して寝てしまった。
月曜の朝、TVに釘付けになった僕は、本当に信じられなかった。信じたく無かった。まだ自分は寝ているのだとすら思った。
それから1994年のF1は地獄でしかなかった。イケイケなシューマッハが鼻につき始めると、今度はそれを押さえ込もうと云う連中の悪意が充満し出したのだ。結果、追い詰められ自制心を欠いたシューマッハの悪癖と、不可解な裁定や泥試合が繰り返され、たった数年しかF1を見ていない自分でも、これほど厄災塗れなシーズンは過去に無かったのではないか?と思うほど酷い有り様に終わった。
あれから何十年も経った今、シューマッハに焦点を当てた映像作品を見ていると、あれだけ憎たらしいほど強かったシューマッハの人間的な弱さに共感したり、FIAと云う組織の難しさも痛いほど感じられた。様々な人物が当時のことを語っていたが、もっとも責任の重い立場に居たバーニー・エクレストンが出演していたのが一番驚きだった。彼もあの事故で相当矢面に立たされた人物だったはずだ。未だに彼を許していない人も多いだろうに良く当時のことを語ったものである。
今でもあれは不幸な事故だった的なことを彼は言い切っていた。相当な年齢であるにも関わらず眼に凄みがあり、フラビオと同様にまだ死んでいない漢がそこには居た。きっと本人は、これまで何度もセナ達のことを思い出したことだろう。そして本当にグランプリ続行が正しい決断だったろうか?と自分に問い正したはずだ。そんな漢が今逃げずにハッキリと言葉を紡ぐことに、正直感銘を受けている自分が居た。決断から逃げない人間と云うのは、周囲に何をもたらしたかに目を瞑るなら、それはそれは格好良く見えてしまうものなのだ。
ミハエル・シューマッハもそんな格好の良い漢だった。晩年のチャンピオンらしからぬ行為も含め、セナと同じく勝ち負けに拘る皇帝だった。
ネットで見聞きする情報では、車ではなくスキーに乗って事故に遭って以来、彼は生きてはいるが死んでいるような状況であるうように思える(意思疎通もままならないと語る関係者も居る。)
もしもあの時、セナが死なず、彼と最後まで戦い抜いて、アイルトンへ引導を渡していたら、お互い違う”現在”があったのだろうか?
ふと、そんな不毛なことを考えてしまうほど、あの頃を思い出してセンチになってしまう映像作品でした。
あの年のベネトン。本当にスタッフのモチベが半端じゃ無かった。どれほどグレーなマシンだったとしても、あのピットストップやシューマッハのマシンコントロールを他のチームがやれた気はしない.......
https://www.netflix.com/title/81916859
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