無差別八方美人?

全然無差別じゃないおじさん、はてなブログに引越し中です。

隣にいつも居るようで居なかった僕のドラえもん。

子供の頃の勉強机は、肌触りがひんやりする事務机みたいなスチール製。色味は地味で、温かみのないデザインだった。ただし、汚れに強く丈夫で磁石も使えるスチール机の使い勝手は、決して悪かったわけではない。
 
ドラえもんが飛び出して来た、のび太の机もまた、そうであったのだから、当時の勉強机のトレンドだってスチール製だったのは間違いないだろう。
 
手に入れたお菓子のおまけシールを、手当たり次第机に貼り付けていたのを思い出す。今考えると非常に勿体無い........
 
 
 
「こんなこといいな できたらいいな〜」
 
で始まる2作目の”ドラえもん"アニメで育った自分は、スチール机も含めあの世界の小物一つ一つに親近感を覚えながら、ごく自然に野比家の一員となった。引き戸で畳。2方角に窓があり、その先には1階の屋根があると云うのび太の部屋と、押し入れがあるかどうかの差しか無いのに、何故自分の元にはドラえもんが来てくれなかったのか?....
 
どこでもドア、タケコプター、タイムマシン、etc...、どれか一つでも悪い人に使われたら大変なことになる道具ばかりなのに、それを”あやとり”くらいしか取り柄のない少年に提供し続ける猫型ロボットのドラえもん。普通に考えてタイムパトロールが取り締まるべきはドラえもんに他ならない。ドラえもんは、その性格上のび太にお願いされたら便利な道具を必ず出してしまう。将来のことを考えれば更生させるために諌める必要があるのに、のび太のガバガバな涙腺に負けてしまうドラえもん。ダメ人間にしてしまうだけなのを理解しつつも甘やかす。それはまさに、一人っ子持ちの母親の姿である。今のドラえもんを見て育った人たちが大山のぶ代さんのを見たら、相当違和感を覚えることだろう。
 
同じ原作を元にしていても、全く違う印象になるのは、やはりドラえもんの声を担当した”大山のぶ代”さんの役作りあってのものだった。メインキャストのほとんどは代えのきかない声の人ばかりだが、大山さんのおっとりと誰かを包むような柔らかな声。ぐふふと愛嬌たっぷりに笑う所作はまさしく代えのきかないものだった。藤子・F・不二雄原作と解釈が違うのは間違いないが、アニメ版にはアニメ版の魅力があると云うのは、マルチ展開の棲み分けとして正しい姿な気がしなくもない。
 
今回大山さんの訃報を目をした時「あぁ、とうとうか。」と云う複雑な心境になり、よく面倒を見てくれた親戚のおばちゃんを亡くしたくらいの熱量はあった。うっかりお気に入りの鉄人兵団を見始め、酷く懐かしい気持ちが溢れて仕方なかった。
 
ドラえもんは良い。大抵の人が見た経験があるから、こう云う時に「誰?」「何出てた人?」と云う顔をされなくて済む。皆で故人を偲べるのは非常に有難い.....
 
 
沢山夢をありがとうドラえもん。
 
大山のぶ代さん、お疲れさまでした。
 
実際の人柄など一切知らないけれど、ドラえもんな貴女は本当に素敵な存在でしたよ.........