初めてワクチンを打って、おかしなテンションと肩パンの激しいのを貰ったような後遺症を手に入れた俺は、金曜の夜をシューマッハのドキュメンタリー映画に費やした。
世間的には無名の若者であったミハエル・シューマッハが、F1デビューからたった数年でベネトンと共に2度の世界チャンプを獲った頃、やばい奴が出てきて俺の大好きなセナを脅かしていると感じ彼のことが好きではなかった。セナに後ろから追突しておいて自分は悪くないと言い切るような太々しさもあったし、彼が所属するベネトンのフラビオ・ブリアトーレに対する嫌悪感もそれを助長した。
そんな彼を好きになり始めたのは、勝てないフェラーリを勝てるフェラーリにした時期。思い通りに走らないマシンで、思い通りに走るライバル達相手に、悪癖と云うべき自制心を欠いた走りで挑み続ける様を何度も見せられているうちに、彼の弱さに触れた気がして自然と好感が湧いていった。その後の彼がフェラーリで連覇をしていた間はF1が退屈であったが、シューマッハ自身が若者にとっての目の上の瘤となってからは、また少し彼のことが気になったものだった。引退後のオマケのような復活劇は、まあ語るまでもない老害ではあったけれど....
シューマッハは今、おそらく全身麻痺状態にあるのではなかろうか?喋ることも出来ずコミュニケーションもままならないとネットからは読み取れる。家族が彼のプライバシーを守っているため、憶測以上の情報が見えて来ず、なんとももどかしい気分である。このドキュメンタリー映画には、彼のF1キャリアに欠かせない懐かしの面々が出演しているのだが、まるで故人について語っているかのような雰囲気で、軋轢があった物達も穏やかにしていたが、やはり彼らにとっては既に失われた人間なのかもしれない。
彼の走りに対する貪欲な姿勢の表と裏を公平に表現しつつも、絶妙な匙加減で彼の美徳を持ち上げている本作、やはりこう云う映像作品は日本で作れないものだなとも思った。余計な配慮をして大事な物が伝わらないことがあるのだ。こいつの此処は良かったが、こう云うところは問題だったと、関係者からハッキリ言わせることが出来ないドキュメンタリーなんて残念にも程がある。
そもそもドキュメンタリーとは、観測者次第でフィクションの色味が強くなるため、撮影や編集で如何に客観性を保てるが鍵になるわけだが、どうしても対象者が観測者を意識してしまいがちで、真の意味でのドキュメンタリーは存在すらしない。しかし、こうして一人の人間に対する大勢の証言を聞けるのは、例え真実と違っても面白いから困る。皆が思うミハエル・シューマッハが重なり合い、当たらずと雖も遠からず、彼の為人が見えた気になれてしまうから。
あまりにも懐かしい面々が次々と出てくるから夢中になって見てるシューマッハのドキュメンタリー。 pic.twitter.com/JNjLdSyVqm
— はづき (@i_lain_i)October 1, 2021
世の中を混乱させるのは、大抵ヤル気勢の人間達である。ああしたいこうしたい、そういう気持ちが強ければ強いほど他人を巻き込む自体になる。それが歴史上褒め称えられるものになるか否かは、ただの多数決だ。
そしてどれだけ後世に讃えられる人間であろうとも、不完全な方が断然見ていて面白い。
シューマッハはまさにそう云う面白い存在であった。
ミハエルは恵まれた環境へのコンプレックスが原動力だったが、彼の息子は何処まで面白い人間になれるだろうか?