日本全土を襲う猛暑。
そんな言葉が大袈裟ではないくらい35℃以上をマークした地点が今年最多だった昨日、それはそれは外仕事がしんどい1日となったわけだが、家の中に居られる今日は今日で、負けず劣らず暑いことに変わりなく夏への好感度が更に下がった。
それでも遅い目覚めの後、汗だくになりながら洗車をしたり、掃除をしたりはしていたので、このくそ暑い中よくやったな自己採点していたわけだが、昼食を食べて油断したのか居眠りに突入。いつも通りの日曜だった。
一つだけいつもの日曜と違ったのは、掃除の際目についた今敏さんの「海帰線」を読み直したことくらいだろうか?
掃除をしていたら、なんとなく今敏さんの「海帰線」が目にとまり、ページをぱらぱら捲って巻末を見ると1999年の今日の日付が記されていて運命感じちゃった。読むわ。 pic.twitter.com/d5fBxBNmsI
— はづき (@i_lain_i) July 18, 2021
自分が所有する海帰線は1999年に再販されたもので、巻末に6ページにも渡る今敏さんのあとがきがあります。これがなんとも良いあとがきで、当時の状況から今(1999年段階)に至るまでのことや、アニメ監督として世間に先行してしまった漫画家としての自分のことも書き残していて胸が熱くなった。
ストーリーとしては、人魚のような存在から託された卵を代々護って来た家柄の青年が、リゾート開発の波に飲まれそうになりながらも約束を果たすといった、ひと夏の青春ファンタジー作品で、作者本人があとがきで書いている通り、短所と長所が入り混じる初期連載作品ならではの魅力たっぷりである。大友克洋ファンからしたらモノマネであると手厳しく言われる可能性もあるが、あの時代に漫画家を目指した者の大半は大友氏の影響下であったのだから、彼の元でアシスタントをした今敏さんの漫画が似ていても必然でしかないだろう。
ちなみに、この段階ではアニメ監督としての今敏さんが得意とした”夢か現か”と云う色は感じられない。押井守氏と共作した「セラフィム」での苦い経験や「OPUS」を経て映像の世界で花開くまでの過程の一つとして読むと非常に面白いのではないかと思う。個人的には冒頭7ページまでのカット割が好きだ。無声映画ではなく無声漫画を描いたりしても面白い方だったかもしれない。没後発刊されたパプリカの絵コンテ集を読んだ時も思ったが、ちゃんと構図に力がある作り手でありました.....
そういえば『夢みる機械』はどうなったのだろうか?2011年にプロジェクトが頓挫して以来、伝わってきたのは2018年のインタビュー記事くらいである。
今敏監督の未完の遺作「夢みる機械」を丸山プロデューサーと ...
三分の一出来上がっていても、それを引き継ぐのは普通に難しいことであるし、たとえ完成しても今敏作品として鑑賞に耐えるものになっているかどうかも不安が残る。それでも最後の作品であれば見てみたいことに変わりはないから切なさが込み上げてくるのだろう。
もしも、なんらかの形で夢みる機械が発表される日が来たら、同様の複雑な想いが世界中を巡るに違いない。
関連過去記事