無差別八方美人?

全然無差別じゃないおじさん

だけどホントの笑顔はオマエ探せ。いつもそばにいるサ....

声のお仕事の人を、ちゃんと意識するようになったのは何時からだろう?
 
”あのアニメの主役と同じ声だ”そう感じたとしても、役者の名前や本人の顔まで知りたいとは、幼少期の自分は考えもしなかった。どれだけ好きになった作品でも、スタッフロールまでしっかり確認するほどの熱意は無かった。
 
おそらく中学、高校の頃ではなかろうか?姉達とのチャンネル争いを上手く躱す術を学び、テレ東の放送が本格的に始まったことも相俟ってアニメを見る機会がぐんと増えた時期だった。ごく当たり前にアニメ雑誌も読むようになり、自然とアニメーターや声優を知るようになっていた。本当に幸せだったな.......
 
漫画もジャンプは欠かさず読んでいたが、子供の小遣いでは立ち読みのお世話になることが多い。そこのところで云うと、TVアニメは元手がほぼほぼかからないから、ある意味子供にとっては救世主と言えなくもなかったろう。そしてそれを作る人、キャラクターに息を吹き込む人への敬愛は当然の如く募っていったものである。
 
ガンダムの富野由悠季監督。パトレイバーの押井守監督。言わずもがなの宮崎駿監督。他にも沢山好きな監督は居るが、それだけじゃなくスタジオそのものであったり、キャラデザ、脚本家、シリーズ構成、作画、音楽、美術、etc...アニメを作るには欠かせない人々全てが愛おしいまである。
 
そして、声優と云う職も、無声作品でない限り、絶対欠くことの出来ない存在だ。選挙に当選してダルマの目に墨を入れるのと同じくらい重要な要素である。せっかく丹精込めて作ったアニメーションキャラクターだとしても、声ひとつで全てが水泡に帰すこともざら。
 
”生きるか死ぬか”
 
声の仕事は実は結構命懸けな気がしてならない。
 
一方的に見聞きしているだけの僕らは、彼らの何を知っていると云うのだろう?
 
バラエティに出演したり、アイドルとしての活動をしたり、今の声優達はメディア露出が非常に多いため、こちらはついつい友達感覚に陥りがちだが、本当に意味で理解しているわけではない。都合の良い人物像を当て嵌めて満足しているだけだ。なのに勝手に好きになった自分を棚に上げ一喜一憂するのはナンセンスでしかない。
 
ただ、そんな身勝手な片思いだったとしても、哀しいものは哀しい。それは真実だ。好きな人が死んだりしたら、そりゃ哀しくて当たり前じゃないか。当人がどう考え、どう生きたか。どんな死を望んだか。そんなことは知ったことではないのだ。ただただ哀しいのである。親の世代のカルチャーを主人公と一緒になって楽しめた「ちびまる子ちゃん」。その主役である”まる子”役TARAKOさんの訃報だって、ただひたすら哀しかった。まるで何十年も疎遠だった友人が死んだみたいに遣る瀬ない。死因が暈されて報道されていたから更にモヤモヤが止まらなかった。
 
TARAKOさんの声は一度聞いたら忘れない声質。物腰柔らかな演技。替えが利かない役者の一人だった。同じく替えの利かない存在だった鳥山明さんの訃報があったばかりなせいもあって、TARAKOさんのニュースを見た後、視界が歪み続けて酷かった。まさかここまで落ち込んだ気持ちになるだなんて、自分でも思わなかった。それだけ身近に感じていたと云うことなのだろうか?もうろくに”ちびまる子ちゃん”を見てもいなかったと云うのに........
 
順当に行けば、自分が多感な時期に出会った人全てを見葬ることになるのが普通ではあるが、俺はそんな別れの連続に耐え続けていけるだろうか?とてもじゃないが自信がない。俺がこの世から消えるまで、誰一人死なないでくれ.....
 
神谷明さんや若本規夫さんが居ない世界なんて考えたくもない。
 
野沢雅子さんも元気なままで居てほしい.....
 
兎に角お疲れ様でしたTARAKOさん....
 
まる子好きだったが、タルるートくんのことも大好きだったよ..........
 
会いたくなったら再生ボタンを押し込もうと思います..........