日本時間でいう所の昨日早朝、新しいiPhoneが発表された。通常のナンバリングであるiPhone8と、iPhone発売10周年モデルのiPhone Xだ。
iPhoneが発売されたのは2007年。その頃僕は何をしていただろう?今と変わらず仕事仕事の毎日だったと思うけれど、まだ新鮮に感じる世界も周りに沢山あった頃でもあったかもしれない。
あの頃僕はケータイを持っていなかった。友達は少ないし、会社や家族と急ぎの連絡など取りたくもなかったから全く必要性を感じていなかった。しかし、それらに反し膨れ上がっていたのが、当時急速に広まりつつあったネットを利用したサービスの数々を出先でも利用したいという欲求だった。今日中に注文しておきたい物を思いついたり、いついつから開始のネット予約をしたくとも家に帰ってPCを起動した頃には終わっている...なんていう事態が度々起こっていたのである。だから元々気になっていたiPod touchに電話機能が付いて発売されると聴いた時は「これだ!」と飛び上がる思いだった。今までケータイを持ったことがないと話した時のSoftBankの店員さんの興味深そうな顔が忘れられない。
それからというもの、iPhoneは実に良い相棒であった。ジョブズ亡き後の低迷は残念ではあるものの、他に良いスマホがあると聞こうともiPhoneがよほど狂ってしまわない限り使い続けるだろう。
こういうAppleの発表会があると、お決まりの反応が飛び交う。
「高い」「他端末の二番煎じ」「Androidの方が売れている」
何故そこまで目の敵にするのか理解に苦しむような反応も少なくない。とは言え実際その通りだと思う面も確かにある。価格は他に比べ割高だし、Appleだけの個性とは言えない機能を大々的にアピールされても、既存の端末を直に知っていれば冷ややかな反応しか出来ないだろう。だが「Androidの方が売れている」というディスり方は明らかに公平ではない。日本での販売台数ではiPhoneが主流だと言いたいのではない、iOSを積んだスマホがiPhoneだけに対し、Android端末は2015年調べでも世界で2万種類を超えるというのに、Androidの方が売れていないなんて状況になること自体が可笑しいと言いたいのである。
二番煎じと言われるような機能追加に関しても、例えば見た目も中身もイケメンだけど走るのは苦手だった男性が、自己ベストで走りきったことを周囲が褒めている時に、皆の後ろで「俺は去年もっと速く走った」と口にすることになんの意味があるのか?周囲の人はその子の頑張りを褒めているのであって、去年速く走った子と比べているのではない。同じように、それぞれのペースを軽んじ一部の機能だけを取り上げトータルのパッケージの出来不出来を論じないのは、やはり公平とは言い難いだろう。
他をよく知らないまま新しいiPhoneを持て囃す人達も困りものだが、何がなんでもiPhoneを貶めようとするAndroid勢はもっと困ったものである。まるで確かな野党を名乗るどこぞの政党のようだ。そんな暇があったら大袈裟にPRするAppleやメディアを批判すべきだろうとも思う。
僕は、近しい人にはiPhoneはを勧めない。自由な端末ではないし、やれることも限られているからだ。独り荒野に置き去りにされるような感覚で知識が必要にはなるけれど、メーカーや端末の種類も豊富で選択肢が多いAndroidの方がお客のニーズに応えられるとさえ思っている。自由度は低いが使い易いiPhoneか?自由度は高いが癖があるAndroidか?一長一短はどちらにもある。好きな方を好きなように使えば良いのである。
ついでに言えばAppleには、また昔のように好きな人だけが好きなように応援する会社に戻ってもらいたいくらいに思っているけれど、今の経営陣の手堅いやり口ならしばらく安泰なんだろう。
さっさと落ちぶれてしまった方が、他所の連中の妬み込みの声など聞かずに済むのになぁと考えてしまうくらいには、iPhoneとAppleを好きになっている自分がいて苦笑いするしかないなと思った.....
ちなみに、2年縛りが終了したばかりの僕は、新しいiPhoneを買わない。切実に車を買い替えなきゃならないのだ........北海道に住む者としてはスマホどころではない📱