無差別八方美人?

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滅亡しなかった世界の遺児より、愛を求めて....『奇蹟の輝き(What Dreams May Come)』ヴィンセント・ウォード(監督)/ロビン・ウィリアムズ(主演)/1998年/感想

子供の頃、日がな一日”死”について考え、瞼を泣き腫らしていたことがある。
思い返せば、あれが初めて自身の死について自覚した時だった。
何故そこまで考えてしまったのかもよく覚えている。当時大好きだった学研の「ひみつシリーズ」(様々な分野を漫画で教えてくれる児童書)で”ノストラダムスの大予言”(1999年7の月に人類が滅亡するとしたもの)について書かれていたのを読んで、すっかりその気になってしまったのだ。
あと10年と少ししか残っていないだなんてあんまりだ!
 どうせ死ぬなら生きる意味なんてあるのだろうか? 
 そもそもなんで僕が死ななきゃならないんだ!
などと、止め処もなく落ち込んでいた。どうにかして予言が外れ無いものかと、ノストラダムスについて書かれた本を幾つか読んだ結果、どうやらこれは一部の人間が都合良く勝手に解釈しただけの物だと思えるようになったものの、内心は引き摺りつつ夢も希望も無い思春期を過ごしてしまい、今ではすっかり空っぽの人間になってしまった。逆に滅亡していた方が幸せだったのでは無いか?と考えることもある...
それにしても何故人は死を恐れるのか?誰も彼もが当たり前のように死んでいくのだから、自分だってそれが当たり前であるのに、その事実を受け容れるのは容易なことではない。そもそも受け容れられる瞬間が訪れるかどうかも一度死んでみるまで分からない。よく臨死体験について語っている人もいるが、結局死んでいない人の話だから真偽は定かでは無いし、やはりエネルギーの供給元である肉体を失えば、脳という器に篭った精神も失われると考えるのが普通なのだろう。僕は一度全身麻酔をかけられたことがあったが、その時は完全に無の状況になっていて臨死体験どころか夢すら見なかった。ただ麻酔から覚醒した瞬間が生まれたばかりの時の記憶(生まれた瞬間の記憶が自分にはある気がしている)に似ていたから、もしかすると死とはこういうものなのかもしれないなとは思った。
どうせなら楽園のような死後の世界が広がっていて欲しいけれど、どうやらそうも行かないようだし、年々言う事を聞かなくなってゆく身体に現実を思い知らされながら、この先どう生きて行こうか考えずにいられないことがつまらない。
せめて、この映画の主人公のように、絶望の中にあっても互いを思い遣れるパートナーがいれば良いのだろうが、そんなロマンスにもてんで縁が無い.....
ありえないような一目惚れをした男がそのまま結婚し、最愛の妻と少々気難しい思春期の子供達とで幸せな家庭を築くものの、事故で子供を二人共亡くしてしまう。なんとか立ち直るものの今度は自分が事故で死ぬ事になり、一人残してしまった妻の辛そうな姿に別れ告げ死後の世界へと彼は誘われて行く。
そこは自分の思い描いた楽園そのもので、思い通りに変えられる世界。男は美しい風景に全てを忘れそうになる。しかし其処へ妻が自殺し、"ここ"では無い地獄へ送られた事を知らされ、妻を救うべく男は地獄へと赴くことになる....
とても1998年に製作された映画とは思えないくらい違和感のないCGで、油彩画をそのまま動かしているような天国の風景が本当に美しかった。男が旅することになる地獄にしても、アメリカらしい物の残骸が印象深かい。丹波哲郎もこれくらい美しい「大霊界」を撮れていれば楽に成仏出来ただろうに.....
天国で娘と息子に再会し、過去の思い出が蘇って感情が爆発するシーンだけでも胸が熱くなるが、最後の最後に愛し合う二人が出逢いからやり直す所が最高に感動的だった。悪く聴こえるかもしれないが、道中の不幸のばら撒き方も上手い作品とも言える。つくづく柔和な表情に隠れた闇を感じるロビン・ウィリアムズにはこういう作品がピタッと収まるなぁと思った。彼も他界してしまったが、本作のような天国で一片の曇りも無い笑顔を浮かべ過ごせていたら幸いだ。いつか彼が自由に描いた天国へお邪魔してみたいものである。
それまでは生あることを喜べる生き方をしたいものだ.....
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