普段それほど脚本やシリーズ構成に興味は無いのだけど、二人だけどうしても意識してしまう人がいる。
一人は”小中千昭”さん。そしてもう一人が”會川昇”さんだ。
はっきりと意識するようになったのは、ありがちに『鋼の錬金術師』からではあるけれど、會川さんが関わった過去の作品リストを眺めてみても本当に大好きな作品ばかりだった。「吸血姫美夕」「AD.POLICE」「THE 八犬伝」「機動戦艦ナデシコ」「南海奇皇(ネオランガ」「十二国記」などなど、僕が心底アニメを愛していた時代に會川昇さんは自然と入り込んでいたのだ。
ハガレン後は、僕のオタクベクトルと少々すれ違っていたものの、「UN-GO」でガツンとやられ、今は勿論「コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜」にどっぷりハマっている。『神化』という元号で呼ばれるもう一つの昭和を生きる”超人”達がそれぞれの正義の名の下に傷ついて行く様がなんとも言えない本作は、これまでに沢山のヒーローを見守って来た會川さんの集大成とでも云うべき魅力でいっぱいだった。”水島精二”監督という良き理解者が居ればこその映像化ではあるものの、會川昇さん無くしてこれほど曲者揃いの超人達を料理出来たとは到底思えない。
そんなコンレボと同じ世界観を持つ會川昇さんが書いた「超人幻想 神化三六年」も当然のように面白かった。TV局で脚本まで務めるディレクターの男が、生放送の中断を外部の人間に迫られ、挙げ句の果てにはスタジオに現れた化け物の餌食になってしまいそうな瞬間タイムトリップ(タイムスリップ)を経験し、どうにかして最悪の結果を塗り替えようと何度も時間を遡り孤軍奮闘する話で、何故スタジオに化け物が現れたのか?放送を中断させようとしていた連中は何者なのか?どうして超人でも無い自分がタイムスリップしてしまったのか?と、若干ホラーじみたミステリー展開で実に小説らしい味わいなのが良い。徐々に超人幻想らしいヒーロー像が見えて来て、ほんのり切ない幕引きも素敵だ。直接アニメ版と繋がっている話では無いので、普通に本書から入ってコンレボを観るのも良いのかもしれない。
優れた脚本家=優れた小説家では無いことは、小中千昭さんの書籍を何冊か読んだことで痛いほど身に染みているけれど、超人幻想一冊だけを例にあげるなら會川昇さんは十分優れた小説家だった。感覚的な物だけに頼らず、しっかり肉付けしながらストーリーを進めているから、”神化”と呼ばれる時代がいかなる物か、読者がちゃんと思い浮かべつつ世界観に入って行けるようになっているのが上手い。憧れが現実に打ちのめされても尚、幻想の価値を信じ続ける大人の哀愁がぷんぷんするのも良い。
僕からしたら、會川昇さん自体が超人そのものなのだが、勝手に誰かを超人に仕立て上げ、自分の可能性を踏みにじっている僕などには思いもよらない努力の積み重ねが會川さんを超人足らしめているのは間違い無いだろう。どれほど頑張ってもコンレボに登場するような超人にはなれはしないが、決して嘘を吐かない”努力”だけは忘れずに生きていきたいなと思った....