昨夜帰宅すると、腹の虫が疼いたのか、ガルム・ウォーズをなんとなく見てみる気になった。
今の日本には本当の意味でのファンタジーが足り無いと感じ本作を試みた...といったようなリップサービスを押井守氏がしていたような気がするけれど、確かにこれは王道のファンタジーで、創造主に見捨てられたガルムという者達が幾つもの部族に分かれ惨めに殺し合いを演じているという世界感からしてそうだった。
ただ、押井おじさんがそんな素直に指輪物語やハリポッターのような王道を作るわけもなく、押井おじさんらしい未来的なメカが登場するSFに仕立てられており、可変する羽根でもって鳥のように滑らかに舞う戦闘機や、押井ファンには馴染み深い戦車、巨人のような機械兵士、巨大戦艦に至るまで特撮臭は止まらない。
主人公である”カラ”は死しても記憶をクローン体に引き継ぎ、何世代にも渡って戦い続けてきた戦闘機乗りなのだが、敵対している部族から逃げ出した”ウィド”に出会い、この世界の真実を知るための旅に出ることとなる。ガルムが子を作れないのは何故か?神はどうしていなくなったのか?という彼女の偽らざる気持ちが敵対部族の男の気持ちまで動かし、残酷な真実を知ることになって展開など、王道と言わずしてなんと言えば良いのかと思った。そういう意味においては、これまでの押井映画の中で一番分かり易く出来ているかもしれない。
自分の代わりが死ぬほどいるガルム達
いまだ、その個性は衰えていないランス・ヘンリクセンがウィド役
敵対部族であるカラの気持ちが分からないでもないスケリグは本作におけるバトーさんポジション
結論を言うと、これまでの押井実写と同じく、押井さんらしい惜しさが全体を支配していたと言える。これはこれで有りなのだけど、これがアニメーションであればと思ってしまう自分もいた。メカも良い、風景も綺麗、日本人とは瞳の色が違う役者達もなかなか様になる。それでも何かが足りていない気がしてしまうのだ...押井監督の好むフィルタリングのせいか、作り物の安っぽさを感じてしまうせいかもしれない。
これならば低予算を吹き飛ばす勢いがあった「トーキング・ヘッド」の方がよほど意味不明で面白かった。いつの間にか押井作品といったら美麗なCGいうイメージが出来上がってしまったが、色々とケチがついたガルムウォーズでさえこうして日の目を見れたのだし、もっと規模を縮小して小さな空間なのに銀河級の広がりを感じるわけのわからない映画を好きに撮ったとしても、ちゃんとファンは応えてくれると思うが、そんな期待に応えたいなんてまるで考えないのが押井おじさんだから仕方ない....
直ぐに退場するキャラですら存在感半端ない
ケロベロスサーガの香りもする
そしてとにかく絵になるシーンが多い
後ろ姿がなんとも言えない
新作を作らないなら作らないで困りものだけど、作ったら作ったで何かと困りものでとんだ性悪監督だなぁとも思うが、まだまだ押井守という監督を見ていたい自分がいて救いようが無い。
次は犬しか出てこない映画撮るかもしれないね.....それはそれで面白いかもしれないな........🐶