『僕は戦争が嫌いだ』
と、心から思えるものなら思いたいのだが、身体の何処かで野性が爆発する場所を求めていることも確かで、”こんな連中は皆殺しにすれば良いんだ”という浅はかな気持ちが湧き出すたび自己嫌悪に陥っている。
無論、今のところ命を賭けるだけの理由は無いからゲーム以外で戦争をする気はさらさら無いし、人が沢山死に地球を汚し資源を無駄遣いするからという理由以上に、誰かに強制されて戦うだとか、降りかかる火の粉を払う為に仕方なく戦わされるような目に遭うことが嫌だから基本的には戦争は嫌いだ。何しろ”あの”大戦の頃の日本と来たら、無駄に生真面目で思い込みが激しく、アメリカに占領されるくらいならと、いろんな手段で自殺行為を兵士達に強要していた事実もあるし、それだけは絶対に嫌だと心に染み付いているのです。
誰かの拙い作戦のせいで命を落とすのは気に食わないというのは、普通の生活でもよくあることで、ましてや事が起きた後であれば、ここはこうした方が良かったと言うのもよある話。だから”あの時こうしていれば良かったのに!”と、訴えかける「永遠の0」のような作品を書きたくなる気持ちも少しは分かるつもりだが、どうにも”百田尚樹”氏の根っこにある価値観には引っかかるところがあって好きになれなった。
皆がお国の為と命を賭けて戦っている中、空戦の高い技量を持ちながらも戦場で逃げ回り、生まれたばかりの子と妻の元へ生きて帰ることばかりを考えていた男が本当の祖父であると知り、そんな男が何故最後に特攻という道を選んだのかを孫達が紐解いて行くという大まかなプロットだけを見たら、実に面白そうな内容であるし、実際に映画を観ても大部分は反戦と愛のストーリーであるから、着目する場所によっては感動出来るのも分からないでも無い。
しかし、その逃げ回っていた本当の祖父の生き様を語る生き証人達を筆頭に、誰も彼も自分に都合の良い解釈ばかりを口にしているのに気付いた僕は早々に萎えてしまった。
家族のために死にたく無い!味方が死ぬところは見たく無い!そう口にする男にしては、最後は無責任に自分の中の強迫観念や罪悪感を晴らすために特攻を選んでいるのがモヤモヤするし、最後のシーンでも分かることだが、命をやりとりをしている相手に対する敬意をフィルムから全然感じ無いのも好きになれない。
原作もそうなのかは分からないが、本気で反戦を考えている人物であれば、絶対に避けて通れないはずの場所をスルッと素通りしているように思う。確かに山崎監督は思想よりドラマ性を大事にした作品にしたのかもしれませんが、百田尚樹氏の中にある「俺ならもっと上手く戦争をやれた!」という反戦の皮を被った好戦的思想が、どうしても其処彼処から匂って来る気がしてなりません。
保守的な男が目の前で命を散らす仲間達を見て、自分の命の使い道を変え救いようの無いフライトを選び取るまでの過程は、案外悪く無かったかもしれない。でもその後の英雄を作り出そうと綺麗にまとめて行くのが気持ち悪い。思い出を美しくしたくなるのも分かるが、無様で脆弱で愚かしい男が自分の為に死を選ぶ、ただそれだけの映画で何が悪いのだろう?
戦争の頃の日本を知る者として、おいそれと命を懸けた人達を描け無いぞと、「風立ちぬ」で自分と同じ職人としての矜持を持った人物にクローズアップした宮崎駿さんの方が、己の恥や器の大きさを知る人に思えてなりません。
戦後70年が経ち、いよいよあの大戦の記憶は薄らいで来た中、人伝えで戦争の凄惨さを引き継いで行くのがどれだけ難しいかを痛感する作品でした。
人は自分の中に無い価値観を描けるほど起用ではありません。これから先更に真実とは乖離した戦争が語られて行くことでしょう......