無差別八方美人?

全然無差別じゃないおじさん、はてなブログに引越し中です。

戦争が終わった日に吹く風は何処へ向うのか?

 今日が終戦記念日であるからでも無いけれど、ポニョのついでに「風立ちぬ」も借りたから観直してみました。 二度目であるし、物語がどう展開するか分かっていても、やっぱり泣いた。エンディングでユーミンの「ひこうき雲」が流れるのは反則ですね....
※公開から1年、BDも出たしネタバレで話します。
 眼が悪くてパイロットへの道を諦めるしかなかった"堀越二郎"が、鳥の様な飛行機に乗って飛ぶ冒頭の夢のシーン、彼が目覚めるまでの数分間は観客も以前のジブリ・宮崎駿だと錯覚するほどファンタジーなのに、でもそれはただの幻想だと直ぐに”庵野秀明”と言う重厚な人間の声と、壮絶でオドロオドロしい地震の描写によって幻想だと思い知らされてしまうという流れが、とても新旧宮崎駿の入り交じった展開でやはり面白かった。
 無邪気に現実感の無い作品を子供の目線で作ることの限界に近づいた宮崎さんが、まんまと鈴木敏夫さんの焚き付けに乗って過去の自分を半ば焼き捨ててでも、現在の自分をフィルムに起したような風立ちぬの製作姿勢、僕は凄く好きです。
 宮崎さんが今までに感じて来たであろう理想と現実が、これほど如実に反映された作品は無いでしょう。栄光と挫折、そして無慈悲な現実の世界。その大きな渦の中で、最愛の人を心配しつつも仕事を忘れない二郎の姿勢に、違和感や怒りを憶える人もいるかもしれないが、何かをしていないと折れてしまいそうになる感情を支えるため、そしてそんな自分を好いてくれた女性に相応しい人間として生きるためにも仕事をすると言うのは、男である僕には理解出来てしまいます。古臭い伝統的日本の風習でしか無いかもしれませんけど。なんにせよ堀越二郎の作り上げた飛行機の美しさが全てを証明している気がしてなりません。
 本作は初めて宮崎駿と言う人が男女をちゃんと(宮崎さんなりには)描いた作品でもあります。宮崎作品の長所でもあり短所でもある決断の早さが、いつも主人公とヒロインの関係を簡単に結びつけてしまいがちなのですが、風立ちぬの二郎と菜穂子の愛はじっくり描かれていて素敵でした。常々肝心な所をはぐらかすシャイさを見せて来た宮崎さんだから尚更ですねw 
 余命幾許も無い菜穂子を家に待たせ仕事三昧な次郎が自分勝手な男に見える半面、こうして観直してみると養護施設から抜け出して二郎の元へ押し掛け、少しでも一緒にいたいと願った菜穂子なのに、終盤死期を悟ったかのように二郎にも告げず施設へ帰ってゆくのも、すいぶんと自分勝手な話であるように見えました。ただ、そんな不器用な2人だからこそ惹かれ合ったのだと思うと、生きるということの、ままならなさが切なくて仕方無くなります.....
 大空を綺麗に舞う飛行機を作り上げた二郎。けれど晴れぬ心。美しくも呪われた人生を選んだ二郎に最後菜穂子は言う。
 「あなた、生きて」
 とても感動的なシーンであるけれど、これが当初「あなた、来て」だったと聞いて鳥肌が立った。「生きて」だと『私の分も』という意味合いに聴こえ、生きている二郎や宮崎さんの自己満足になるところが、「来て」だと死んで全ての人が救われる世界で終わることになります。どちらも良さと悪さがありそうなので、相当迷ったでしょうね。
 もしも「来て」のままだったら、女性のジブリファンに受けが良かったかもしれませんが.....
 戦争を物語にする際の切り口は千差万別様々あるものです。自分を自国を正義と疑わず戦う者を描いたものから、自らの正義を試され続けるもの、いわゆる被害者・加害者の立場を入れ替えて描いたものだってあります。
「機関銃を乗せなければね」
 理想の飛行機を仲間達の前で語る堀越が口にした一言。ボソっと語る堀越の言葉の数々からは、戦争というものがもたらす技術革新への興奮と不安が滲み出ています。あえて堀越二郎と言う人物の生きた周辺だけに焦点を合わせているために直接的な戦争描写は無いけれど、戦闘機を作った男の映画だからといって絶対に戦争賛美な映画ではありませんでした。
 技術革新の前線に居る人達は、常に相反する状況に置かれるものだと思います。作りたいから作る者の唯一の罪は、それを悪用する人間達の行為の先に何があるのかを見通せなかったことくらいかもしれません。それにしたって、そこまで先を見通せる人間なんてそうそういるものでは無いですしね。
 戦後69年が経ち、この先何年平和でいられるのかハッキリ明言出来る者がこの世にいるとするならば、きっと神の化身か化物でしょうなぁ...
 勝手と言われようが構わず素直に吐き出してしまうと、僕が人生を終えるまでで良いから平和であって欲しいです。その後は好きにして下さいo┐ペコリ 
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