無差別八方美人?

全然無差別じゃないおじさん

この世界で、数少ない”信じられる”存在「Vampire in the Garden」牧原亮太郎(監督)/WIT STUDIO/Netflix/感想

時々自分でも不思議に思うのだが、普段は人間関係なんて面倒なだけだと考えているくせに、一心に誰かを想い傷ついてしまう人を見ていると、泣けて仕方ないのは何故なのだろうか?
 
可哀想?
 
羨ましい?
 
シンプルに形容することが難しい感情が、自分の中にもあることだけは確からしい。
 
 
 
”ある冬の時代。 人類はヴァンパイアとの戦争に敗れ、地球上にほとんどの居住区を失った。生き残った人々は小さな都市に光の壁を築き、身を守りながら生存圏の再拡大を望んでいた。 抑圧された暮らしの中、敵であるヴァンパイアとの共存を望む主人公・モモ。 かつて人間を愛し、戦場から姿を消したヴァンパイアの女王・フィーネ。 都市に戦火が広がる中、2人は運命的な出会いを果たす。 その昔、ヴァンパイアと人間が共に暮らす『楽園』があった。 これは『楽園』を求めて旅をする1人の少女とヴァンパイアの物語──。”
by公式サイトSTORY
 
 
生きる為に血を必要とするだけで、十分人間と相容れない吸血鬼。1730年代に名付けられたとする”その”存在は、実在・架空の是非に関わらず、某宗教並みに尾鰭が付いて今日まで憧れと畏怖の対象として生き残ってきた。まさに不死の存在に相応しい寿命である。
 
しかし、吸血鬼はその寿命の割に、太陽に弱い、ニンニクに弱い、心臓に杭を打たれたら死ぬなど、こそこそ生きねば即死が待っており、多くの作品においては、恐怖の存在と云うより、儚い者として描かれている。そう云う意味においては、人間が追い詰められていると云う本作の状況、異色と言えば異色なのかもしれない。
 
ただ展開は至極王道で、勤勉さを互いに求め吸血鬼達が好む歌や踊りを禁止している人間側の少女が、過去に自分と似た人間の少女と親交を持った経験がある吸血鬼と出会い、人間と吸血鬼の共存出来る土地を求め放浪することになるのだが、これが実に良い按配の百合でたまらないものがあった。最悪の出逢いをしてから、音楽を通じて互いの距離を縮め、助け合いながら信じる道を征く二人の姿には、下手な男女のロマンスを見るより、精神的な繋がりに想いを馳せることが出来た。
 
様々なビッグタイトルや、オリジナル作をTVと劇場で手掛けながら、Netflix向けにもこれだけの作品を投入出来るWIT STUDIO。実に恐ろしい会社に成長したものである。ただ絵が綺麗なだけではない、よく動かすことが出来るからこそ、王道を真っ直ぐやれるのだ。アニメは何処のを見れば良いのか分からないと云う人に、胸を張って薦めることが出来る数少ない会社の一つで間違いない。
 
本作の二人は、人間にも吸血鬼にも不可能と言われたことをやり抜いていたが、ロシアとウクライナの狭間で血と涙を流しながら両国の調和を望んでやまない人達も、大勢いるのだろうなと思った。
 
なんでもかんでもコロナや戦争に紐付けするのはよくないが、こんな時代だからこそ生まれた作品を、大事にしたい気持ちは止められなかった。
 
何故仲良く出来ないのか?
 
本当にイエスかノーの選択しか残されていないのか?
 
自分の意思は大事なのに、他人の意思は大事ではないのか?
 
『水の低きに就くが如し』
 
孟子の言葉だが、安易な選択肢に流れ着いたプーチンも、例に漏れず人の子だっただけの話なのかもしれない。
 
何もかもさっさと終わって、少しでも今よりマシに思える世界になって欲しいものだ....