無差別八方美人?

全然無差別じゃないおじさん、はてなブログに引越し中です。

友達ってなんだろ?「ぼくのともだち」エマニュエル・ボーヴ(著)/白水社/2013年(1924年)

『友達』ってなんだろ?
 1度か2度しか会ったことが無くても、メルアドさえ交換してれば友達かな?
  しばらくしたら音信不通になりそうだけど。
 学校や会社で一緒に笑顔で過ごしていても、プライベートではほとんど会わない相手はどうだろう?
  これを友達だと言うようになったらおしまいな気がしてならない。
 じゃあネットで仲良くなった人達のことは?
  精神的な繋がりは友達と言えるかもしれない。でも直接体温を感じられないから別れは淡白だ.....
 前に誰かが言っていた。昔は「恋愛」という物をする必要が無かったと。
 知らぬ間に恋愛なる幻想をブランド化し、それを実践することが人類の幸せであるように誰かがすり替えたのだと言うのだ。
 この話にしっくり来てしまった僕は、同じように「友情」という物も、いつの間にかブランド化されてしまったのではないかと思った。子供が夢中になるアニメや読み漁る漫画は、どれも仲間と和気藹々と過ごし困難を乗り越えるような友情ストーリーばかりだ。しかもほとんどは根性で解決してしまい、熱い「友情」があれば、後は何も必要無いことになっている。
 確かに、独りは寂しい。もしも友達でなくとも、話し相手くらいは誰も欲しくなる。それすら要らないと言う人は、相当頭の造りが常人とは異なる人種なのだろう。
 だが、友達とは無理矢理に作るものでも無いし、頭数を揃えれば良いものでも無い。互いの本音を晒し合い、厳しいことも、優しいことも、ちゃんと言える間柄であることが大事だと思う。だから、それが不可能なら作る必要など無いとも言える。だいいち、本当に心の底から必要としていれば、自然と出来てしまうものではないだろうか?
 「ぼくのともだち」と題された本書の主人公は、戦争帰りで左手が不自由。国から生活に必要な最低限のお金を貰っているが、身形をを整える余分な金は無いし、働いていないから世間の風当たりが厳しく、卑屈でいつも自分の理解者<友達>を求めている。しかし、彼は友達が出来る寸前まで行くものの、勝手に期待と絶望を繰り返し一人ぼっちのまま人生が続いてゆく。
 本書を読んでいたら無性に寂しくなる。主人公に友達が出来ない理由が痛いほど伝わってくるから。自意識過剰で被害妄想。変な所でポジティブ。他人の幸福は許せない。他人の不幸話には聞く耳を持たない。自分の苦労話には尾ひれを付ける。兎に角自分を理解しない周りが悪い......
「 僕はこんなに酷く無いっ!」
 みんなそう思いたくなるほどの駄目人間なのだが、そんな彼を見て安心した時点で同じ穴のムジナである。全てで無いにしても、彼の感じ方と共通したところが誰しもあるはずだ。
 それを認めたく無い気持ちは良く分かる。本当に嫌になるのだ彼の生き方は。しかし、紛れもなく上手に友達が作れない彼はもう一人の僕達だ。表題の「ぼくのともだち」とは、友達が作れないことへの皮肉であり、同じように「友達」と言うブランドに振り回されている僕ら読者の事を「ともだち」だと言っているようにも思える。この本が90年以上前に出た物とは到底思えない。時代や文化の移り変わりに関係無く、人との関わり合いは普遍な物なのだと痛感してしまう.....
 独りで何が悪い?と、”森博嗣”さんなどには一蹴されてしまいそうな男の話だが、友達作りの役に立たない彼の優れた観察力から零れ落ちるユーモアが案外面白いし、作者である”エマニュエル・ボーヴ”さんの経験が活かされたディティールの細かさが非常に良い本だった。人によっては不愉快でしかない作品かもしれないし、この本を読んで更に自分の殻に閉じ籠ってしまう恐れもあるが、同じような境遇にある人が、自分と向き合う為に読むには丁度いい作品かもしれない。
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 表紙からして半端ない....