毎日、毎日、いつも通りに朝起きて仕事へ行き、帰ればダラダラとゲームをして、いつとも分らないまま眠りにつく生活を送っていると、だんだん現実感が実生活で薄らいでいくのが自分でも分かる。曜日感覚も妖しくなり、ちゃんと考え無いと今朝が何曜日で何日なのかさえ頭から出て来ない。
ところが、そんな人生の周回軌道に乗ってぐるぐるふわふわしてる毎日をぶち壊すニュースが時折流れ出す。アメリカの同時多発テロ、宮城県沖地震、そして今なら佐世保の事件だ。女子高生が同級生を絞殺して遺体を切り刻み、バラバラにまでしようとしたというのだから、まさにリアルがフィクションを追い越した瞬間で、横面を出会い頭に平手されたような感覚を憶えた...
こういうとき、不毛と分かっていても考えてしまうのが「何故?」
考え無いようにしていてもついつい思い出してしまうから、少しネットで情報を見てみれば、どうやら昔からサインを出していた子供だったらしい。小学の頃にクラスの給食に塩素系の洗剤を入れたとか、小動物を解剖していただとか、極めつけは再婚した父親を金属バットでボコボコにしたなんて話もある。
起こした騒動ひとつひとつを見ると、キチガイでしかないように思えるかもしれないが、単純にこの子がサイコパスであるからこんな事件が起きたとは到底思えない境遇にある子でもある。この子の家族というのが社会的立場が高めの公的な業種の人ばかりでガチガチに占められていることであるとか、母親が亡くなって半年ほどで再婚した父親であるとか、テレビのこちら側では分らない加害者の心に蓄積された闇の集大成がこの辛いニュースに繋がったように思えました。
もしもこの子が貧乏だけど温かい家庭に産まれていれば、高校に入って初めての夏休みを友達と桜花していたのだろうか?
それとも、今回と同じように周りの命を引き換えにして自らの生を実感していただろうか?
どんな家庭に産まれても、本気で自分とぶつかってくれる人がひとりでも居なければ、どんな人間でもこんな事態を引き起こすのかもしれない。少しずつ蓄積され、限界を越えた時爆発する花粉症のように、いつか僕らも彼女のようなことを引き起こしてしまうのだろうか?
こんな事件が起こると、自分の身を案じる人が多いが、自らが加害者になる可能性も考えた方が良いと僕は思います....
10年前の事件から、少しでも環境を良くしようと活動して来た佐世保で再度起きたこの事件は、色んなルールや感情で子供達を一方的に守ろうとしたところで何も解決しないことを物語っていましたね。自分達があれこれと武装するのは、単純に真剣に子供と向き合う勇気が持てない大人の逃げでしか無いのだと久々に痛感しました。
唯一の友達だったと言う女の子の命と精神を奪った加害者の女子高生は、この先どんな生をまっとうしてゆくのだろう...........