読み終わった後、しばらく溜め息ばかりが漏れました。
相手の「好き」と、自分の「好き」が違ったらどうしようと思い悩む少女達の姿が、あまりにも美しく尊く思えたからだ。
身勝手に好きになって傷ついて。勘違いかもしれない想いに熱くなって後悔して。それでも好きだと頬を赤らめることが出来るだなんて、思春期ってなんて素晴らしいのだろう。実に羨ましい。こんな綺麗に人を恋しく想うことが今の僕には出来ないから....
「青い花」は、いわゆる百合作品で、初恋さえしたことが無い少女と、年上の女性と既に身体を重ね合ったことのある少女が、久方振りに再会するところから物語が始まります。
「その一言は、10年の月日をかるくとびこえた」
再会した時そう感じた”万城目ふみ”と、そう感じさせた”奥平あきら”。 ふみは兎に角惚れっぽく、あきらは、兄が異常なほどのシスコンである以外、ごく普通の女の子。そんな2人が、いかにしてお互いの「好き」の形の差を埋めてゆくかまでの心の起伏が見事に描写されており、彼女達は勿論、周囲の人々のドラマにまで波及してゆくから、実に見所満載でありました。
百合の人
普通の人
なり損ねた人
なりそうな人
それぞれに葛藤があることを、印象的な言葉と「間」を使って志村さんは巧みに描き分けてゆきます。 ただの思春期特有の憧れや夢想でお茶を濁して終わりではなく、そういった心と身体の欲望を逃げずに描くから志村さんの本は面白い。しかもほとんどの登場人物が片思いであるのが実にリアルな人間関係に思えてなりません。色恋っていうのは、やはり片思いで上等なんだと思います。どんなに分かり合えていると感じても、それはたまたまお互いの片思いが限りなく等しい重さになった瞬間の勘違いなのだとさえ思った。
彼女達は同性だから互いの気持ちを必要以上に心配しているのだけど、相手が自分の「したい」ことを望んでいるかどうかに悩むのは、通常の異性カップルでもままあることですし、同性ならば尚の事思い悩むのでしょう。彼女達の淡い恋心を見てると、こんな純粋な想いに性別云々なんて無粋だと、つくづく思いました。愛しい気持ちを無視して、誰かのルールに縛られる必要なんて無いんですよね。勘違いの恋だって愛になれるチャンスがあるのだから。
僕は男だが、彼女達の熱に浮かされた学園生活が羨ましい。教会があるキャンパス。丁寧に挨拶をしてくれる年少組。誰もが恋に落ちずにいられない美麗で絵になる先輩。こんな学園生活なら、女の子生まれ変わって、女の子と文化祭やら旅行やらお泊まり会やらしたくなっても仕方ないのではなかろうか?(まあ女子校に実際通っていた志村さんが言うには、そんないい場所では無かったから青い花で理想的なキャンパスライフを描いたらしいですけどね。) 男同士の友情を怪しく感じて腐る女子達が多いですが、男からしたら女子同士の方がよほどナチュラルに怪しいですよ(ユリ´▽`)ジ〜
女性が描くBLは想像で描かれているのが多い為か、みてくれは男だけど中身は女性的な登場人物が多く見られどこか不自然。それに対し女性が描く百合は普通に本当の想いが見え隠れしてて本物に思える部分が多いように思います。
大事な部分は身も心も同性が1番理解出来る。
だから精神的に不安定な思春期の少女達は、想いが通じる女性に走るのかもしれませんね。
(= ワ =*).。oO羽海野チカさんとかが、ちょっとエッチな百合漫画描いたら面白そうだなぁ....
本編を楽しめたなら、志村貴子さんのロングインタビューが読める「マンガ・エロティクス・エフ vol.82」も読んで欲しいです。これを読むと青い花の余韻に2倍も3倍も浸れること間違いないです(ステマ)